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橋本 左内(1834-1859)
橋本 左内(はしもと さない)は、日本の武士(福井藩士)、志士、思想家。号は景岳、黎園(れいえん)。諱は綱紀(つなのり)。著書に15歳の時に志を記した『啓発録』(1848年)がある。安政の大獄で25歳で死罪となった。 生涯 1834年4月19日(天保5年3月11日)、福井藩奥外科医で二十五石五人扶持の橋本長綱の長男として越前国常磐町に生まれる。母は小林静境の娘。弟にのち陸軍軍医総監・子爵となった橋本綱常がいる。桃井氏一族の桃井直常の後胤と称した。直常の子孫が母姓を冒して橋本姓に改姓したという。 嘉永2年(1849年)、大坂に出て適塾で蘭方医の緒方洪庵に師事する(適塾時代に、福沢諭吉が左...
この人物の情報
schema:alternateName | ハシモト サナイ |
schema:name | 橋本 左内; 綱紀; 景岳; 橋本左内 |
schema:abstract | 橋本 左内(はしもと さない)は、日本の武士(福井藩士)、志士、思想家。号は景岳、黎園(れいえん)。諱は綱紀(つなのり)。著書に15歳の時に志を記した『啓発録』(1848年)がある。安政の大獄で25歳で死罪となった。 生涯 1834年4月19日(天保5年3月11日)、福井藩奥外科医で二十五石五人扶持の橋本長綱の長男として越前国常磐町に生まれる。母は小林静境の娘。弟にのち陸軍軍医総監・子爵となった橋本綱常がいる。桃井氏一族の桃井直常の後胤と称した。直常の子孫が母姓を冒して橋本姓に改姓したという。 嘉永2年(1849年)、大坂に出て適塾で蘭方医の緒方洪庵に師事する(適塾時代に、福沢諭吉が左... |
schema:birthDate | 1834 |
schema:deathDate | 1859 |
schema:description | 貿易立国論者 |