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荻原 井泉水(1884-1976)
荻原 井泉水(おぎわら せいせんすい、1884年(明治17年)6月16日 - 1976年(昭和51年)5月20日)は、日本の自由律俳句の俳人、俳論家。「層雲」を主宰、尾崎放哉や種田山頭火らを育てた。本名・幾太郎のち藤吉。日本芸術院会員。 経歴 東京市芝区神明町(現・東京都港区浜松町)で雑貨商・「新田屋」の次男として生まれる。荻原家は越後国高田(現・新潟県上越市)出身で祖父・藤吉が家庭の事情で若いとき家を出奔して江戸に出てきたという。 長男・長女を幼くして失ったため、延命地蔵で占ったところ「今度生まれる子は男の子であるから、幾太郎と名づけよ。必ず長命する。」というお告げがあり幾太郎と名づけ...
この人物の情報
schema:alternateName | オギワラ セイセンスイ |
schema:name | 荻原 井泉水; 荻原井泉水; 随翁; 荻原, 藤吉 |
schema:abstract | 荻原 井泉水(おぎわら せいせんすい、1884年(明治17年)6月16日 - 1976年(昭和51年)5月20日)は、日本の自由律俳句の俳人、俳論家。「層雲」を主宰、尾崎放哉や種田山頭火らを育てた。本名・幾太郎のち藤吉。日本芸術院会員。 経歴 東京市芝区神明町(現・東京都港区浜松町)で雑貨商・「新田屋」の次男として生まれる。荻原家は越後国高田(現・新潟県上越市)出身で祖父・藤吉が家庭の事情で若いとき家を出奔して江戸に出てきたという。 長男・長女を幼くして失ったため、延命地蔵で占ったところ「今度生まれる子は男の子であるから、幾太郎と名づけよ。必ず長命する。」というお告げがあり幾太郎と名づけ... |
schema:birthDate | 1884 |
schema:deathDate | 1976 |
schema:description | 俳人 |