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李 攀竜(1514-1570)
李 攀竜(り はんりゅう(ピン音:Lǐ PānLóng)、正徳9年4月18日(1514年5月12日) - 隆慶4年8月19日(1570年9月18日))は、中国明代の詩人、文人。後七子と称された明代詩壇の古文辞派の筆頭に挙げられる。歴城(山東省済南市)の出身。字は于鱗(うりん)。号は滄溟(そうめい)。 略歴 早くに父を失い、母の手で育てられた。嘉靖23年(1544年)進士となる。その後、陝西提学副使など地方官を歴任し、河南按察使となる。しかし、豪放ながらも自負心の強い性格であったため、官吏の世界になじめず、それ以上は出世しなかった。のちに職を辞して郷里歴城の郊外に隠棲し、母への孝養につと...
この人物の情報
schema:alternateName | リ ハンリュウ |
schema:name | 李 攀竜; 李攀竜 |
schema:abstract | 李 攀竜(り はんりゅう(ピン音:Lǐ PānLóng)、正徳9年4月18日(1514年5月12日) - 隆慶4年8月19日(1570年9月18日))は、中国明代の詩人、文人。後七子と称された明代詩壇の古文辞派の筆頭に挙げられる。歴城(山東省済南市)の出身。字は于鱗(うりん)。号は滄溟(そうめい)。 略歴 早くに父を失い、母の手で育てられた。嘉靖23年(1544年)進士となる。その後、陝西提学副使など地方官を歴任し、河南按察使となる。しかし、豪放ながらも自負心の強い性格であったため、官吏の世界になじめず、それ以上は出世しなかった。のちに職を辞して郷里歴城の郊外に隠棲し、母への孝養につと... |
schema:birthDate | 1514 |
schema:deathDate | 1570 |
schema:description | 詩人 |