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渡辺 崋山(1793-1841)
渡辺 崋山(わたなべ かざん)は、江戸時代後期の武士・画家。三河国田原藩士・家老。通称は登(のぼり)、諱は定静(さだやす)。号の崋山ははじめ華山で、35歳ころ改めた。別号は全楽堂・寓画堂など。贈正四位。1839年に幕府によって罰せられた(蛮社の獄)。 生涯 誕生と苦難の幼少時代 江戸詰(定府)の田原藩士である父・渡辺定通と母・栄の長男として、江戸・麹町(現・東京都千代田区の三宅坂付近)の田原藩邸で生まれた。渡辺家は田原藩で上士の家格を持ち、代々100石の禄を与えられていたが、父定通が養子であることから15人扶持(石に直すと田原藩では27石)に削られ、さらに折からの藩の財政難による減俸で...
この人物の情報
schema:alternateName | ワタナベ カザン |
schema:name | 渡辺 崋山; 渡辺崋山; 渡辺, 登; 渡辺, 華山; 定静; 登; 崋山; 渡辺, 定静 |
schema:abstract | 渡辺 崋山(わたなべ かざん)は、江戸時代後期の武士・画家。三河国田原藩士・家老。通称は登(のぼり)、諱は定静(さだやす)。号の崋山ははじめ華山で、35歳ころ改めた。別号は全楽堂・寓画堂など。贈正四位。1839年に幕府によって罰せられた(蛮社の獄)。 生涯 誕生と苦難の幼少時代 江戸詰(定府)の田原藩士である父・渡辺定通と母・栄の長男として、江戸・麹町(現・東京都千代田区の三宅坂付近)の田原藩邸で生まれた。渡辺家は田原藩で上士の家格を持ち、代々100石の禄を与えられていたが、父定通が養子であることから15人扶持(石に直すと田原藩では27石)に削られ、さらに折からの藩の財政難による減俸で... |
schema:birthDate | 1793 |
schema:deathDate | 1841 |
schema:description | 画家 |