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能因(988-)
能因(のういん、永延2年(988年) - 永承5年(1050年)あるいは康平元年(1058年))は、平安時代中期の僧侶・歌人。俗名は橘永愷(たちばな の ながやす)。法名は初め融因。近江守・橘忠望の子で、兄の肥後守・橘元愷の猶子となった。子に橘元任がいた。中古三十六歌仙の一人。 経歴 初め文章生に補されて肥後進士と号したが、長和2年(1013年)、16歳で出家した。和歌に堪能で、伊勢姫に私淑し、その旧居を慕って自身の隠棲の地も摂津国古曽部にさだめ、古曽部入道と称した。藤原長能に師事し、歌道師承の初例とする。和歌六人党を指導する一方、大江嘉言・源道済などと交流している。甲斐国や陸奥国など...
この人物の情報
schema:alternateName | ノウイン |
schema:name | 能因; 橘; 永愷 |
schema:abstract | 能因(のういん、永延2年(988年) - 永承5年(1050年)あるいは康平元年(1058年))は、平安時代中期の僧侶・歌人。俗名は橘永愷(たちばな の ながやす)。法名は初め融因。近江守・橘忠望の子で、兄の肥後守・橘元愷の猶子となった。子に橘元任がいた。中古三十六歌仙の一人。 経歴 初め文章生に補されて肥後進士と号したが、長和2年(1013年)、16歳で出家した。和歌に堪能で、伊勢姫に私淑し、その旧居を慕って自身の隠棲の地も摂津国古曽部にさだめ、古曽部入道と称した。藤原長能に師事し、歌道師承の初例とする。和歌六人党を指導する一方、大江嘉言・源道済などと交流している。甲斐国や陸奥国など... |
schema:birthDate | 988 |
schema:description | 僧 |