creator search
満済(1378-1435)
満済(まんさい/まんぜい)は、南北朝時代から室町時代中期にかけての醍醐寺(真言宗)の僧。僧としては破格の准三后を授かったことから、満済准后(まんさい じゅごう)、法身院准后(ほっしんいん じゅごう)、三宝院満済(さんぼういん -)としても知られる。安土桃山時代の義演准后と並んで醍醐寺中興の祖として知られる。 生涯 父は従一位・権大納言今小路基冬。満済は『尊卑分脈』によって基冬の孫と考えられてきた。しかし、満済は基冬の子であることが判明している。母は聖護院房官法印源意の娘・白川殿。生家の今小路家は関白二条兼基の子良冬を始祖とする。 母が室町幕府3代将軍・足利義満の御台所・日野業子に仕えて...
この人物の情報
schema:alternateName | マンサイ |
schema:name | 満済 |
schema:abstract | 満済(まんさい/まんぜい)は、南北朝時代から室町時代中期にかけての醍醐寺(真言宗)の僧。僧としては破格の准三后を授かったことから、満済准后(まんさい じゅごう)、法身院准后(ほっしんいん じゅごう)、三宝院満済(さんぼういん -)としても知られる。安土桃山時代の義演准后と並んで醍醐寺中興の祖として知られる。 生涯 父は従一位・権大納言今小路基冬。満済は『尊卑分脈』によって基冬の孫と考えられてきた。しかし、満済は基冬の子であることが判明している。母は聖護院房官法印源意の娘・白川殿。生家の今小路家は関白二条兼基の子良冬を始祖とする。 母が室町幕府3代将軍・足利義満の御台所・日野業子に仕えて... |
schema:birthDate | 1378 |
schema:deathDate | 1435 |
schema:description | 僧 |