東大本科進学目前の二十三歳の時、漱石は建築家になることを決心していた。しかし、その夢は、あっさりと友人に打ち砕かれてしまうのだが、建築、美術、デザインなど、日本文化への、厳しくも深い愛を、その後も漱石は持ち続けていた。「皮相上滑り」という言葉に代表されるように、文明開化を期に大きく変容した日本文化を危惧し、晩年、学生たちに向かって、お節介とも思われるほど、熱く語り続けた漱石…。『デザイン』という言葉がまだ日本にない時代、漱石の語った内容は、まさに『デザイン』そのものだった。長年、編集者として、デザインの最前線を見続けてきた著者が読み解く、漱石先生の『デザイン論』。
「BOOKデータベース」より