いまから七百年前のことである。ヴェネチア商人の息子マルコ・ポーロは、父と叔父とともにはるばると中央アジアの砂漠を越え、未知の国、中国へたどりついた。一行はこの地に二十年間とどまるが、とりわけマルコはフビライ・ハーンの覚えめでたく、皇帝の使節となって中国各地をめぐり、江蘇省揚州の知事までつとめたという。だが、と著者のウッド女史は考えた。マルコ・ポーロははたして本当に中国へ行ったのだろうか。マルコが帰国後に語った旅行談、『東方見聞録』には、なぜ万里の長城や纏足や茶のことが出てこないのか。当時の中国の記録にマルコ・ポーロ一行について何ひとつ記されていないのはなぜなのか。現存する『東方見聞録』の手稿と刊本の来歴、そこに使われている言語、そしてポーロ家の歴史に関する最新の研究成果をもとに、疑問の解明に乗り出したウッド女史が導き出した、あっと驚く新解釈とは。
「BOOKデータベース」より