久保貴子 著
江戸時代初期、徳川秀忠の娘和子は、家康の対朝廷対策により、後水尾天皇の許に嫁ぎ、皇后となった。娘の興子が明正天皇として皇位を嗣いだため、若くして国母となる。朝廷・幕府間の軋轢に苦悩しつつも、双方への細やかな気配りから存在感を示した。将軍の娘、そして天皇の妻・母の立場から朝幕関係や後宮の実態を見る「東福門院」初の伝記。
「BOOKデータベース」より
[目次]
情報を取得できませんでした。
件が連想されています
ページトップへ