映画は父を殺すためにある : 通過儀礼という見方

島田裕巳 著

映画には見方がある。"通過儀礼"という宗教学の概念で映画を分析することで、隠されたメッセージを読み取ることができる。日本とアメリカの青春映画の比較、宮崎映画の批判、アメリカ映画が繰り返し描く父と息子との関係、黒沢映画と小津映画の新しい見方、寅さんと漱石の意外な共通点を明らかにする。映画は、人生の意味を解釈する枠組みを示してくれる。

「BOOKデータベース」より

[目次]

  • 予告編
  • 1 『ローマの休日』が教えてくれる映画の見方
  • 2 同じ鉄橋は二度渡れない-『スタンド・バイ・ミー』と『櫻の園』
  • 3 『魔女の宅急便』のジジはなぜことばを失ったままなのか?
  • 4 アメリカ映画は父殺しを描く
  • 5 黒澤映画と小津映画のもう一つの見方
  • 6 寅さんが教えてくれる日本的通過儀礼
  • 7 総集編

「BOOKデータベース」より

この本の情報

書名 映画は父を殺すためにある : 通過儀礼という見方
著作者等 島田 裕巳
書名ヨミ エイガ ワ チチ オ コロス タメ ニ アル : ツウカ ギレイ ト イウ ミカタ
シリーズ名 ちくま文庫 し32-2
出版元 筑摩書房
刊行年月 2012.5
ページ数 246p
大きさ 15cm
ISBN 978-4-480-42940-7
NCID BB09102248
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全国書誌番号
22136214
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言語 日本語
出版国 日本
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