本当に「貧しい者は幸い」なのか。抑圧者に対する「怒りは殺人と同じ」悪なのか。姦淫するなというなら、「目をもって姦淫する」のは、どういうことになるのか。一切誓うなと書いてあるのに、キリスト教徒が「誓う」というのは、どういうことか。マタイ福音書の有名な「山上の説教」は、本当に自己への責めは厳しく、他者に対しては愛と平和、神に対しては、「心貧しい」素直な心を教えたものなのか。本来のイエスの言葉を実生活から遊離したマタイ教団が精神主義的に改作し、実践の観念論をふりまわすことになった。それが今日のキリスト教界の口当たりのいい説教のもととなる。実証的に緻密な論証を重ねて、護教論的「定説」を覆す、田川マタイ論の現代的達成点。
「BOOKデータベース」より