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教育哲学
上田薫 著
[目次]
- 目次
- まえがき
- 第一章 はたして哲学は不要か
- 第一節 哲学的態度とはなにか / p3
- 1 哲人であるということ / p3
- 2 根源的・全体的ということ / p6
- 3 普遍を割りきることなく追究するということ / p8
- 第二節 教育哲学とはなにか / p11
- 1 哲学と教育学の関係 / p11
- 2 その種々のケース / p13
- 3 教育哲学の役割 / p15
- 第二章 教育の論理とはなにか
- 第一節 これまでの教育哲学 / p19
- 1 教育の論理の必要性 / p19
- 2 教育観をめぐって / p22
- 教育観の区分
- 社会は先行しうるか
- 3 教育と新しい社会の形成 / p26
- 社会形成における教育の地位
- 未来にたいする予測と先取
- 第二節 新しい普遍の探究 / p30
- 1 新しい論理への道 / p30
- 論理の逆転
- 科学的認識の相対性(絶対と相対の問題)
- 2 普遍にせまる論理 / p34
- 具体的事実と論理
- 論理検査の論理
- 普遍についての動的基準
- 3 未来性について / p42
- 偶然をどう評価するか
- 未来への規定力
- まとめ
- 第三節 教師の位置-主としてその指導において / p50
- 1 教育的系統と知識の相対性 / p50
- 複数の系統
- 学者・教師・子ども
- 2 禁欲の問題と未来性 / p57
- 教師における禁欲
- 間接性の意義
- 3 不完全から不完全へ / p62
- 目標の重層性
- 教育の中立性
- 評価の問題
- むすび
- 第三章 欧米の教育哲学
- 第一節 教育学体系成立前の先駆者たち / p71
- 1 ルソーまで / p72
- 2 ペスタロッチーとフレーベル / p75
- 第二節 ヘルバルト / p78
- 第三節 ナトルプ / p81
- 第四節 実証的教育学の人びと / p85
- 第五節 ディルタイとその系譜 / p88
- 1 ディルタイ / p88
- 2 リットとシュプランガー / p90
- 第六節 教育科学を主張した人びと / p93
- 1 デュルケーム / p93
- 2 クリークその他 / p94
- 第七節 デューイとその周辺 / p96
- 1 パースとジェームズ / p96
- 2 デューイ / p98
- 3 デューイ批判とエッセンシャリスト / p104
- 第四章 歴史と教育
- 第一節 歴史的条件と普遍 / p111
- 1 教育の位置と役割 / p111
- 2 統一的把握としての歴史 / p113
- 3 自己矛盾と価値の相対性 / p114
- 第二節 ひとは教えることができるか / p116
- 1 ずれの意味 / p116
- 2 革新をはばむ力 / p120
- 付 哲学へのさそい / p124
- 参考文献 / p133
- 索引 / p1
- 年表
「国立国会図書館デジタルコレクション」より
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書名 |
教育哲学 |
著作者等 |
上田 薫
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書名ヨミ |
キョウイク テツガク |
シリーズ名 |
新・教職教養シリーズ
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出版元 |
誠文堂新光社 |
刊行年月 |
1964 |
版表示 |
4版 |
ページ数 |
133p 表 |
大きさ |
19cm |
NCID |
BA90504639
BN09265484
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全国書誌番号
|
64003472
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言語 |
日本語 |
出版国 |
日本 |
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