中野三敏 著
寛政六年から翌年にかけて、浮世絵界に忽然と現れて消えた画号「東洲斎写楽」。その正体は誰なのか。そもそも戦後になって「誰それ説」が乱立したのはなぜなのか。江戸文学研究の立場から文献資料に残された手がかりを丁寧に考証し、写楽=阿波藩士斎藤十郎兵衛説を証明する。
「BOOKデータベース」より
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