小林忍 著
「事故当時、私は米国西海岸のワシントン州シアトルにあるボーイング社でJALからの研修生として機体構造強度計算部門で働いていた。(中略)1985年8月12日は月曜日だった。いつものように、朝6時ごろ起き、テレビのスイッチをひねった。すると突然画面いっぱいに「鶴」のマークが現れてきた-」航空技術者として、また安全の責任者として長年現場で格闘してきた著者が語る、技術と社会、技術と人間の接点で起こっている真実。
「BOOKデータベース」より
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