わが国における牛乳をめぐる市場は、昭和52年からの牛乳過剰基調の中で、いわゆる「牛乳の南北戦争」に象徴されたように、非常に混沌とした状況にあった。全国的規模における需給調整組織が欠如していることが、問題の根源であった。このような事態の解決策のひとつとして、「日本型ボード」構想が浮上したのであった。「日本型ボード」設立の可能性について議論されたにもかかわらず、最終的には実現しなかった。この「日本型ボード」は、イギリスのミルク・マーケティング・ボードを原型としていた。それでは、そもそもボードとは如何なる組織であるのか。著者の問題意識はその一点につきたのである。
「BOOKデータベース」より